名古屋を中心に都市型コミュニティを再設計する株式会社ABパートナーズ

営業

W設計では厳しい先輩もいましたが、基本自由で、早い段階から企画や設計などを自由にやらせてもらい、
入社から3年目には担当者として賃貸マンションの設計監理をさせてもらいました。
この設計事務所では5年間の間に賃貸マンション、クリニック、商業ビル、戸建住宅、店舗、
学校の耐震改修設計など多岐に渡る設計に携わりました。

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入社3年目に一級建築士を最短で取得し、順調かに感じましたが、仕事を重ねるほどモヤモヤが増していきました。
設計だけに関わるのではなく、計画の最初の段階からてオーナー様と関わりたい。

 

設計事務所として独立したい、という当初の夢に向けてこのまま設計の道を進むのか、思い切って違う道もありなのか・・・。

 

そんなモヤモヤを抱えている頃、結核を患っていることが発覚しました。
急遽、入院する事になり、約1ヵ月半の入院。
隔離病棟で周りと隔てられた環境の中で、様々な本をむさぼり読みました。
今思うと勢いに任せて転職するのではなく、神様が色々考える時間を与えてくださったのだと思います。

 

その後、転職は先送りにする事にして、与えられた職務を精一杯やろうと考えました。

 

退院から翌年、商業地での商業ビルを担当させてもらえるというビッグチャンスが到来。
とても良いオーナー様でこちらが目一杯考えた提案をどんどん受け入れてくださいました。
「設計士として、精一杯仕事をしよう。」
ただ、それだけでした。

 

けれども同時に当初から抱えていた不安は消えませんでした。
当初からの不安・・・

 

それは、そもそも営業が提案した
「ビル全体が商業ビル」
というそもそもの提案が正しいのかということ。
商業地としては、はずれにあり、立地的には下階には店舗があったとしても上階は住居の方が良いのではないか・・・。

 

竣工し、不安は的中!!

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オーナー様の資産構築どころか不利益に。
提案そのものは、営業の提案ではありましたが、この物件に携わっていた者の一人として、自責の念に駆られました。
決意しました。

 

「営業をしよう!」

 

設計士としてこのまま歩むのではなく、当時関心があった不動産業界に移り、
営業と不動産を一から覚え、オーナー様が建築によって幸せを得られるお手伝いをしたい、そう思いました。
と同時に、単純に新築を提案する事そのものに疑問を感じつつあったので、
当時流行り始めていたリノベーション(中古の再生)についても学びたいと思い、
それが実現可能な新興上場不動産会社社に入社しました。

 

しかも名古屋支社としてのオープニングスタッフでの採用。

 

何のしがらみもなく、会社としての看板も無い状況で、相当自分が磨かれそうだとワクワクしました。
実際はそんなに甘くはなく、飛び込み営業、テレアポを1日何百件したりと、
慣れない中で奮闘しましたが、3ヶ月以上契約ゼロの日々が続きました。

 

その後、徐々に成績も上がりはじめ、順調にいきかけた矢先。。。

 

リーマンショックが訪れました。

 

 


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