名古屋を中心に都市型コミュニティを再設計する株式会社ABパートナーズ

誕生

昭和55年6月15日の晴天の朝8時に長岡家の次男として愛知県岡崎市に生まれました。

 

幼い頃から人と違うことをやりたがる少年で、小学校時代の学芸会の役柄はいつも悪役。
目立ちたいけど、誰もが選ぶ役はいやだ。
ひねくれているのか、ただの変わった子なのか・・・。

 

中学校に入ると年々勉強に対する熱が入らず、自分の好きなことだけに熱中していました。

当然、学業に結果が出るわけもなく、ずるずると成績は右肩下がりの状態に。。

 

中学3年の夏になり、さすがに危機感を感じた私は両親に嘆願して塾に入れてもらいました。
その塾で配られた高校一覧のガイドブックの中に興味深い学校を見つけました。

 

それがT工業高等専門学校(T高専)でした。

低学年(1、2年)は、学生寮に入らなければならず、高校時から専門課程が学べ、早く社会に出られる5年制の学校でした。
人と違ったことに心を奪われる私にとって、願ってもない進学先でした。

 

その学校での学科は機械、電気、情報などがありましたが、興味を抱いたのは「建築」。
家づくりや大きな建物に魅力を感じ、近所で住宅工事の現場があると食入るように見ていました。

 

そのガイドブックでT高専を見つけた日から猛勉強を開始。
何とか高専の入試を突破。
晴れて建築の道に一歩足を踏み入れました。

 

しかし、ギリギリ滑り込みで入った高専生活は甘くはなく、落第点ばかり・・・。
寮で同部屋の同級生に馬鹿にされながらも、奮起し、徐々に結果が出るようになってきました。

 

高専時代の後半でいよいよ進路を考える時期になってくるにつれ、自分のやりたいことを考えていると、
「設計事務所として独立したい」という想いが頭をもたげてきました。
もちろん、高専を卒業して、すぐに独立できる訳はなく、まずは設計事務所に就職しなくてはいけません。

 

そこで、設計事務所名簿を手に入れて、テレアポをしては関心を持ってくれた設計事務所の方に会いに行く日々が続きました。
しかし、その時期は就職氷河期の真っ只中。
その中でも建築業界は厳しく、特に設計事務所は新卒は大学院卒しか取らず、キャリア採用のみという会社がほとんどでした。ほとんどの会社に電話上で断られ、会ってもらうチャンスをもらってもなかなか門戸は固く、
80社以上にアプローチを繰り返しました。

そして、ようやく採用にこぎつけたのは岐阜に本社のあるD設計で、名古屋支店での採用でした。


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